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YOKOHAMA コラム バックナンバー

国土交通省選定 日本の道100選 2016/12/07

 晩秋の山下公園前。銀杏の並木はその葉を黄色に染めて、通りを鮮やかに彩ります。晴れた小春日和には、観光客はもちろん、日曜画家がパレットを広げ、近隣の親子連れも散歩にとやってきて、それぞれの場所で思い思いに過ごしています。

 風の強かった翌朝は、あちこちでぎんなんを拾う人が見受けられ、忙しい早朝ながら季節を殊更に感じ、その風景にほっとします。

 日本の道100選は、優れた特色のある道路に対して、1986年に制定されました。山下公園通りは100選の内、32番になっています。

 黄色く色づいたその葉を落とし始める頃、銀杏の木にはイルミネーションが施され、クリスマスまでの間、ロマンチックな夜景を演出してくれます。

 山下公園前の銀杏通りは、いつの季節も私達を楽しませてくれるのです。


玉楠の木 2016/11/07

 私たちが教科書でペリー来航について勉強した時、一度は目にしたことのある米艦隊随行画家ハイネの「ぺリー提督横浜上陸図」。この絵には、約五百人の兵隊と共に上陸を果たしたペリー提督と、それを迎える江戸幕府の役人達、そして絵の右側には一本の大きな木が描かれています。

 この木「玉楠の木(タブノキの異称)」はこれ以後、二百余年の鎖国時代の幕引きのきっかけとなる日米和親条約の締結を見届けるなど、激しい時代の流れに呑み込まれていく日本の歴史と共にその人生を送る事になります。
 その後、その歴史的価値から1915年(大正4年)には横浜市から保存木として認定され、翌年には「名勝史跡ニ関スル臨時委員会」によって六名木として選定されましたが、1923年(大正12年)の関東大震災によって焼失してしまいます。

 当時、横浜市民だれもがこの震災と共に失われた歴史の証人の死を悲しみました。しかし、驚くことに同年、並はずれた暖かさも手伝ったのか、まるでこれから復興していく横浜の町並みと歩みを揃えるかのように、地中に残された根から小さな双葉を芽吹かせたのです。

 そんなドラマチックとも言える人生を送るこの玉楠の木は、初代が生きていた場所よりも10メートルほど海よりの場所である横浜開港資料館の中庭から、今も力強く横浜の町並みを見守り続けてくれています。


ハロウィン 2016/10/04

 "Trick or treat !"(「トリック・オア・トリート」:ご馳走ちょーだいっ!じゃなきゃ、いたずらするぞ!)
 万聖節の前夜、10月31日の夕暮れともなると、それぞれにおめかしをした「ちびっ子モンスター」達が元町商店街を縦横無尽に駆けめぐり、あちらこちらでお菓子をおねだりしていきます。

 今年で16回目を数える「モトマチ・ハロウィン」は、回を重ねる度に参加するお化け達もパワーアップしています。本場さながらの仮装をしていたり、可愛らしいお化けや、時にはちっちゃな怪獣達もちらほらと。中には、ちょっと的外れな格好をしたお化け(?)もいたりしますが、どの子をとっても「可愛く着飾ってあげたい。」「今年の格好はどうしよう」と、この日のために見えない努力と苦労を積み重ねてきた親御さんの愛情が伺えます。

 子供達にとって、この日は楽しい変装ができて、大はしゃぎしても怒られず、堂々と色々な人からお菓子が貰える年に一度の一大イベント。商店街の人達も、喜ぶ顔を見たいが為に、前年の子供達の反応を思い出しながら取って置きのお菓子を用意して襲いかかるちびっ子モンスター達を迎え撃つ準備を整えます。

 子供から大人まで、色々な意味で楽しむことができるハロウィン。こんなに楽しいイベントですが、まだクリスマスほど日本に馴染み深いものではありません。
 ですが私は、みんながそれぞれに自分達のハロウィンを満喫し、喜んでいる笑顔を見ていると、自然に定着し、10月の「風物詩」と呼べるイベントになっていくのではないかと感じます。


開源記念碑 2016/09/08

 山手駅から山手公園方面へ向かう途中、本牧側から山手の高台をゆるやかに登るビヤザケ通りの途中にこの記念碑は建っています。

 1870年(明治3年)、ウイリアム・コープランドは「ブラフ」と呼ばれた山手の居留地2480坪の土地に、「スプリング・ヴァレー・ブルワリー」というビール醸造所を建て、日本で初めてのビールを醸造しました。
 その事業を麒麟麦酒株式会社が引き継ぎ、この地を日本ビール発祥の地として開源記念碑を建てました。

 現在、横浜市立北方小学校やキリン園公園のある一帯です。
 地形は両側を丘で囲まれた谷間で、敷地の一角には一周200メートルの池がありました。
 敷地の半分は丘陵地で、地下には全長210メートルの横穴が掘られ、夏でも温度がさほど高くならないのでビールの熟成には好都合でした。
 この季節、ビールを飲む機会が増えますが、開源記念碑の話を酒の肴にいかがでしょうか。


ハマの恩人 2016/08/10

 明治5年。まだ、電気もなく暗い夜道ばかりだった開港したての横浜の街に日本で最初のガス灯が点火されました。
 この近代日本の象徴ともいえるガス灯設置に一役かったのが、横浜瓦斯(ガス)局の前進となった「横浜瓦斯会社」を設立した高島嘉衛門です。

 この高島嘉衛門という人物は「ハマの恩人」といわれており、ガス灯設置の他に、その後の発展に大きく貢献したと言われる鉄道用地の埋立事業や水道・電気事業のほか、高島学校の設立・易学の普及など文明開化的事業において数多くの功績を残した人物です。
 現在、横浜市西区にある「高島町」は、元々は彼の所有地だったものがそのまま町になった際に名付けられたもので、それだけでも彼の横浜に対する貢献度とその財力をうかがい知る事ができます。

 この嘉衛門が設置したガス灯は、英国より輸入した柱の上と日本人の職人によって作られた灯具によって作られていました。
 当時は石炭から発生させたガスをそのまま燃やす「裸火(はだかび)」だったため、現在のものほど夜道を明るく照らしてくれる訳ではありませんでしたが、提灯がなければ歩けないほど暗かった夜道を照らすこのハイカラな照明器具は、当時の人々にとって文明開化の象徴ともいえるものだったようです。

 近年、横浜市の整備事業の一環として設置当時さながらのガス灯が馬車道通りに復活し、それと共に通り全体も異国情緒あふれる町並みに変貌を遂げ、夕暮れともなると、通り沿いのガス灯からこぼれる柔らかな光が文明開化当時の横浜の風景を演出してくれています。


『横浜の3塔』<No.3> 2016/07/04

 3回にわたり掲載してきた<横浜の3塔シリーズ>。最後を飾るのは、ジャックの愛称で呼ばれている横浜開港記念館をご紹介します。

 この赤レンガと白い大理石の時計塔がシンボルの横浜開港記念館(ジャック)が建つ場所には、元々、貿易商達が事務所や集会所として利用されていた横浜町会所がありました。
 しかし、明治39年(1906年)の火事によって町会所が焼失してしまったため、その場所に開港50周年を記念して、一般公募による設計と市民の寄付により建築が開始される事となったのです。

 その後、大正6年(1917年)に完成したジャックは、現在では関東大震災と戦災を経た数少ない建物の一つとして、国の重要文化財にも指定されています。
 また、そういった歴史的な価値に加え、この塔の特筆すべき点は「官」で建築された他の2塔と異なり、当時の横浜市民の手によって建築された「民」の塔であるという事でしょう。

 完成当時から現在まで、市民のための施設として様々な形で利用されてきたジャックは、横浜を代表する掛け替えのない財産として愛されています。


『横浜の3塔』<No.2> 2016/06/09

 今月は、<横浜の3塔シリーズ>第二弾、「クイーン」をご紹介させて頂きます。
 クイーンは横浜税関本館の愛称。その優美な外観は、まさに「クイーン」の名に相応しいもので、中でも、緑青色のドームが特徴的な塔からはどこか気品さえ感じて来るほどです。
 このエキゾチックな雰囲気と西洋建築様式のデザインを持つ建造物は、関東大震災後、時の大蔵大臣高橋是清の「失業者救済のため土木事業を起こすべき。」という一言がきっかけとなり失業者救済を兼ねた建築事業として、前庁舎にかわり昭和9年(1934)に三代目税関庁舎として建築されました。

 3塔の高さはそれぞれ、キング<49m>、クイーン<51m>、ジャック<36m>あり、当時の横浜を代表する高層建築物であった3塔の中でもクイーンが一番高い建物として建築されています。
 当時の最新建築技術を駆使したこれら3塔は、ある意味、力の象徴でもあったようで、クイーンには「国の建物が県の建物(キング)に負けるわけにはいかない。」との事から、元々は高さ47mで造られる予定だった設計図を書き直し、現在の高さで設計されたという面白い逸話も残っているほどです。

 現在、海岸通りから「赤レンガ倉庫」へと続く道(象の鼻地区)にある遊歩道からは、美しいクイーンの塔の後方にはどっしりと構えるキングの姿という、昔の港町ヨコハマを代表する2つの建築物が一望できます。


『横浜の3塔』<No.1> 2016/05/06

 横浜には、市民に親しまれ続けてきた有名な3つの塔があります。太平洋航路が華やかだったころの船乗り達を名付け親に持つ「キング」「クイーン」「ジャック」と呼ばれるその塔は、現在も横浜を代表する建造物として紹介されています。
 その中から、今回は<横浜の3塔シリーズ>第一弾として「キング」をご紹介いたします。

 キングは神奈川県庁本庁舎の愛称で、周囲には裁判所・横浜税関・神奈川県警などがある行政の中心を担う地区にあります。
 この場所は、元々、安政6年に造られた「運上所」という今の役所・税関・外務省などの役割を複合的に果たしていた施設があり、目の前にはイギリス領事館(現 横浜港開港資料館)があるなど、当時から横浜の行政の中心となってきた場所でした。その後、運上所が関東大震災により倒壊した事で、新しい建物の設計が公募され昭和3年(1928年)に神奈川県庁本庁舎として再建されました。

 キングは耐震構造の鉄筋コンクリート造りで、高さは48.6メートル、地下1階・地上5階建ての建物の上に9階までの大きな塔屋が乗っています。
 この建築スタイルは「帝冠様式」と呼ばれるもので、その特徴は、当時の西洋式のビル建築の上に和風の塔や寺院の大屋根などを載せる事で国威が表現されている点で、昭和初期に流行した建築様式の先駆けとも言われています。
 また、一階の外回りには石張り・二階以上は「スクラッチタイル」張りが施されており、そのどっしりとした重厚感とゆとりや暖かさを感じさせてくれる雰囲気は、まさにキングの名にふさわしいものがあります。

 みなとみらい21線「日本大通り駅」を出てすぐの所から見えるこの建物は、80年近い時を経てなお、神奈川を見守り、行政の中心としての役割を果たし続けてくれています。

馬と人の公園 2016/04/08

 根岸森林公園・根岸記念公苑(馬の博物館)がある場所はもともと、慶応3年(1867年)に建設された日本初の西洋式競馬場・根岸競馬場の跡地を利用した自然公園で、敷地内にはアメリカ人の建築家モーガンによって設計された根岸競馬場の観覧席の一部が現存しています。
 この競馬場は戦時下の昭和18年に閉鎖になり、その後外国人収容所、印刷工場、ゴルフ場など様々な形で利用された後、昭和44年に接収解除。その際に横浜市が公園を、中央競馬会が競馬記念公苑(馬の博物館)を建設し昭和52年に現在の形として開園されました。

 公園は芝生の上でくつろいだり、春には「桜山」「梅林」などの樹林を眺めながら周遊路を散歩したりなど、人々がそれぞれの時間を過ごす事ができる憩いの場として愛されています。
 一方、根岸記念公苑(馬の博物館)には、馬に関連する自然史・歴史・民俗・美術工芸などの様々な資料が展示されており、併設されたポニーセンターでは、「乗馬デー」(毎月:第1・3日曜日)等のイベントが定期的に催されるなど、様々な形で馬と触れ合える機会が設けられています。

 根岸記念公苑から公園に入るとすぐに、迎えてくれる銅像。19戦15勝(2着4回)という戦績を残し、五冠馬に輝いた名馬「神参(シンザン)」が今も変わらぬ姿で私たちを迎えてくれます。


横浜の名所 三渓園 2016/03/09

横浜に数ある名所の一つ「三渓園」。
 海岸に沿った美しい自然をそのまま生かした広さ17.5万m2にも及ぶこの日本式庭園は、生糸貿易で財をなした実業家・原三渓 (富太郎)によって明治39年5月1日に開園されました。

 原三渓は美術愛好家としても有名で、新芸術の育成に力を注ぎ、日本美術院の才能ある多くの芸術家を援助・育成すると共に、かつては国内有数を誇るほどの古美術コレクションを所有する程でした。
 三渓園の中に巧みに配されている歴史的建造物も、原三渓"個人"のコレクションとして京都や鎌倉などから古建築の逸品を集めたもので、現在でもそのほとんどの建造物が重要文化財建造物や横浜市指定有形文化財建造物として指定されています。

 開園当初より一般公開されきたこの庭園は、横浜市が管理する現在でも 「観梅会」(2月)・「観桜の夕べ」(4月)・「観月会」(9月)などを代表する四季折々のイベントが開催されています。

 岡倉天心や横山大観ら近代日本画の第一人者達を育てた「三渓園」。
 ここでは、ハイカラなイメージとは違った、横浜のもう一つの顔を観る事が出来ます。


春節(しゅんせつ) 2016/02/04

中国では、旧正月を祝う習慣として「春節(しゅんせつ)」というものがあります。

 この「春節」という概念、日本の文化ではあまり馴染みがないものですが、中国の休日としては1年で1番大きく、とても重要な祝日であると共に、華人達が世界中のあちこちで一斉に祝う大きな祝日でもあります。

 もともと、中国では「新暦(太陽暦)」と「旧暦(太陰暦)」が併用されており、行政の歴として用いられたのが「新暦(太陽暦)」、農耕の目安としても用いられてきたのが「旧暦(太陰暦)」なのです。
 この「旧暦」を中国では昔から、「農暦」と呼び、これに従って農作業を進めてきました。
 そして一年の収穫を終え、一息つくとき。それが「春節」なのです。

 今年の春節は2月8日。
 横浜中華街でもこの「春節」を祝う祭りが盛大に行われます。けたたましく鳴り響く中国独特の爆竹や二人一組で演じる獅子舞など、本場中国も顔負けのお祭りを一目見ようと、地元や観光で訪れた人々で街はごった返します。

 贅沢に日本と中国、一年に2回正月を祝うのも面白いのではないでしょうか。


羽子板の由来 2016/01/02

昔「コギイタ」とも呼ばれ、「コギ」という言葉は、古代中国では「トンボ」を意味していました。
 羽根突きの羽の飛ぶ様がトンボに似ていることから、蚊はトンボを恐れ、ひいては子供が蚊に刺されないという厄よけのまじないとして、正月に羽根突きを行っていました。
 また羽根突きの玉には、板で突いたときの音が良いということから「ムクロジ」という木の、黒くて固い種が用いられています。
 「ムクロジ」は「無患子」と書き「子供が患わ無い」ようにとの意味が含まれています。

 江戸時代には羽根突きの板に、現在の原型ともいえる歌舞伎役者の舞台姿を押し絵で仕上げて、取り付けた飾り羽子板が登場し、人気は高まり、急速に普及していきました。
 昭和に入ると美人画が多く描かれるようになり、衣装もあでやかになっていきました。
 また、ケース入りの羽子板が登場し、女児の初正月の飾り物として広く用いられるようになりました。

 このように羽子板は正月の羽根突き遊びの道具、贈り物、飾り物、という用途に加えて、女児の初正月を祝い、邪気をはね除け美しく無事成長することを願うための大切な飾りとなっています。


クリスマスツリー 2015/12/07

横浜恒例行事の一つ、みなとみらい地区にあるクイーンズスクエアでは、今年も巨大なツリーが登場しました。

 今年は、新しく神奈川県の「恋カナ!プロジェクト」とタイアップした、「QUEEN’S♡恋のキューピッドツリー」が出現しました。
 ショータイムでは、クリスマスにぴったりのメロディーと幻想的な光の世界で彩りを添えます。

 このショーが始まると、親子連れやカップルなど、通りがかった人々が、しばしの間、足を止めクリスマスムードを満喫している光景を目にします。
 ツリーを背景に子供と一緒に写真を撮るお父さん・お母さん。
 思いがけない演出にはしゃぎながら、恋人や友達と写真を取り合う人たち。
 こんな心温まる風景を目にして、取材に出向いた私も「毎年、心憎い演出をするものだな。」と関心すると共に、穏やかな気持ちになりました。

 いよいよ年末。街の雰囲気もクリスマスを過ぎると、一気に慌ただしくなってきます。それまでの間だけでも、こんな微笑ましい光景に目を向け、ほっと一息ついてみるのも良いものです。

 この素敵な演出はクリスマス当日(12/25)まで催されています。
 皆様も、みなとみらい地区においでの際には足を伸ばされてはいかがでしょうか。


三の酉 2015/12/07

横浜橋商店街の近くにある鷲神社(おおとりじんじゃ)は天日鷲命(アメノヒワシノミコト)と日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祀っており、現在も商売繁盛の神様として「おとりさま」と一般に親しまれている神社。ここで毎年11月に「酉の市」と呼ばれる大きな祭りがある。

 今年は「三の酉」(「酉の日」が月に三日ある年)。この日ばかりはここの商店街も黒山の人集りでごった返す。
 騒然とした人込みの中をかき分けて歩いていると商店街のあちらこちらで聞こえてくる威勢の良いかけ声と手打ちの音。縁起を担ぐ為に各々が去年より大きな熊手を買い肩に担いで歩く姿。この浮き世離れした中にいると、ふと「まだまだ日本も・・・」などと思い元気が出てくる。

 『足を止めている暇は無い。前を向いて歩こう。』
 「酉の市」が終わると今年もあと少し。また来年もこの威勢の良いかけ声を聞きに来たいと思う。