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YOKOHAMA コラム

普段の生活の中で、現在の行事やイベント、幕末から明治、大正、昭和にかけての激動の時代など、横浜ぐらしの中でふと気になったことや疑問をごそごそ紐解いています。

ダイヤモンド富士 2018/02/04

 雪を冠した富士山には、見る人の心に迫るものがあります。この迫力ある富士山に、神秘的かつより迫力のある現象があることをご存じでしょうか?
 山頂からの日の出の瞬間と日没の瞬間に、山頂でダイヤモンドが輝くような光景が見られる現象をダイヤモンド富士といいます。しかし、富士山が見える地域なら、どこからでもダイヤモンド富士が見られるというわけではありません。

 横浜市中区では、この大桟橋客船ターミナルでも見られ、毎年3月10日前後の日没時と10月3日前後の日没時に見られるチャンスがあります。
 イタリア山庭園、横浜港シンボルタワー、外人墓地、根岸森林公園など、中区には何カ所か富士山ビューポイントがあります。忙しい毎日ですが、お手軽なリフレッシュとしてもってこいです。


豚屋火事 2018/01/06

 JR関内駅すぐ側の横浜DeNAベイスターズの本拠地「横浜スタジアム」がある横浜公園は、日本の野球発祥の地として初の野球の国際試合が行われた歴史ある公園です。

 元々、この場所には、太田屋新田と呼ばれる湿地帯を開発して建設された「港崎(みよざき)」と呼ばれる遊郭がありました。
 遊郭の開業は横浜開港の年(1859年)の11月で、当時「港崎町」と名付けられたこの新しい町は、開港後の発展の中で横浜名物の一つになるほど大変なにぎわいを見せ、最盛時には約1,400人もの遊女がいたそうです。

 しかし、港崎遊郭が開業して7年ほど経った1866年(慶応2年)の冬、末広町で豚肉屋を営業する鉄五郎宅を火元とした火災が起きます。
 通称「豚屋火事」と呼ばれるこの火事は、海に向かう風に煽られた炎が扇状に燃え広がり、当時関内の大半を占めていた外国人居留地や日本人町・港崎遊郭を含めた広い地域を焼き尽くした大きな火災となったのです。

 この火災によって、開港時に幕府が造った横浜の都市計画の欠点に気付いた明治政府は、計画を見直し、港崎町があった場所に、「彼我公園(ひがこうえん)」とも称される、日本人が利用可能な国内初の西洋式公園(後の横浜公園)を完成させると共に、海に向かって走る防火帯を兼ねた日本初の近代的道路として、幅60フィートの車道と、両脇に30フィートの歩道・緑地で構成された計120フィートの道幅を持つ「日本大通」を造りました。
 また、「馬車道」「海岸通り」も当時の都市計画の一環で整備されたもので、道幅60フィートで造られたこれらの道は、現在もそのままの規格で引き継がれています。

 横浜公園は、横浜スタジアム建設の際に現在のような姿になりましたが、北側の噴水や広場・池が配された日本庭園内には、かつての港崎遊郭にあった岩亀楼の灯籠が保存され、日本庭園において高度な技法とされる水琴窟(すいきんくつ)が一角に置かれています。
 また、公園の入り口には「彼我公園」を設計したプラントンの胸像が置かれ、この公園の歴史を静かに物語っています。