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YOKOHAMA コラム

普段の生活の中で、現在の行事やイベント、幕末から明治、大正、昭和にかけての激動の時代など、横浜ぐらしの中でふと気になったことや疑問をごそごそ紐解いています。

西洋理髪発祥の地 2019/08/09

 「ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする」の歌でよく知られていますが、実はもっと長く『半髪頭をたたいてみれば、因循姑息な音がする。総髪頭をたたいてみれば、王政復古の音がする。ザンギリ頭をたたいてみれば、文明開化の音がする』というものでした。

 「ちょんまげ頭の人は、古いものにしがみついている人、長い髪の総髪頭は、それよりかは少しはいいけれど、まだ止まっている人で、ざんぎり頭の人こそ文明開化に乗っている人」というものです。
 安静の開港とともに、生活様式の洋風化が進むなか、政府の「断髪令」に先がけ、明治2年(1869年)横浜に我が国初の「西洋理髪店」が開業され、欧米風「ザンギリ頭」は文明開化の一役を担うこととなりました。

 全国的にザンギリ頭が増えたのは、1877年ごろからで、ほとんどの人がザンギリ頭になったのは、さらにその10年あまりたった1899年ごろだったと言われています。

 彫刻名「ザンギリ」
 彫刻制作 木村 賢太郎


風のまち 横浜 2019/07/09

 「横浜はいつでも風があるねぇ。」
 盆地に引っ越していった友人が再訪し、言った言葉です。

 今、横浜港には大きな風車が羽をブンブンいわせて回っています。
 開港150周年記念事業に基づき、自然エネルギーの利用促進や地球温暖化対策の一環として、平成19年3月に竣工したばかりの風力発電の風車です。

 風力発電は、地球温暖化の原因となる二酸化炭素や有害物質を排出しない事が大きな特徴と言えるでしょう。羽の直径が80m、一番高いところで118mにもなり、マリンタワーを遙かに超える大型の風車です。
 年間予想発電量は300万kwh。
 一般家庭の年間電気使用量にすると860世帯を賄える発電量が見込まれています。


端午の節句 2019/06/03

 ドラゴンボートレースをご存知ですか?
 細長いボートに乗った10〜20人の漕ぎ手がオールで漕いで競争するボートレースです。長崎ではペーロン、沖縄ではハーリーとも呼ばれる、中国が発祥の競技です。

 紀元前の中国、楚国の国王の側近である屈原(くつげん)は、他国からの侵略から国を守る努力をしていましたが、それを快く思わない自国のライバルたちの策略にかかり、国を追われてしまいます。その後、楚国は、そのライバルたちの推す秦国に支配されてしまい、国の将来を悲観した屈原は旧暦5月5日に河に入水自殺してしまいます。これを知った領民たちは、その河に向かってドラや太鼓を打ち鳴らし、ちまきを投げ入れ、魚についばまれないよう、屈原のなきがらを守り、船をこぎ入れ、彼の姿を探しまわったと言われています。
 中国圏ではこの故事にちなみ、現在でも旧暦5月5日にちまきを食べ、ドラを打ち鳴らし、ドラゴンボートレースも開催されています。
 日本では、奈良時代頃に土着の風習と混じり合い、日本バージョンの端午の節句となりました。

 横浜では、1994年から開港祭のマリンイベントの一環としてドラゴンレース大会が開かれています。現在では200余団体が参加し、4日間の熱き戦いが繰り広げられています。


5月病 2019/05/09

 桜の季節も素晴らしいが、何と言っても、木々から柔らかな新しい葉が生え、風に揺られるこの季節が一番好きだ。

 あの淡い黄緑色の葉を日の光の下から見上げるとなんとも言えない気持ちになる。
 洒落た事を言わせてもらえば、生命の美しさとでも言うのだろうか。
 並木道を散歩などすると、晴れやかな気分にさせられる。
 植物達が放つ、この季節特有の香りも素晴らしい。
 都会の中でも、この香りに気付く場所は以外と多いもので、そんな時は一人、深呼吸をして自分なりのお手軽な森林浴を楽しんでいる。

 ゴールデンウィークが終わると、街のあちこちで耳にする「5月病」という言葉。
 意味合いは違うが、毎年同じ症状(気持ち)になるのだから、私にとって、これは「5月病」になるのだろう。
 だが、本家の症状と異なるのは、気持ちの切り替えがし易くなるため、仕事がはかどる。
 これは願っても無い事である。

 もし、新しい環境に馴染めないために、本家の症状に陥っているならば、一旦気持ちをリラックスさせて、もう一度、自分を見つめ直してはどうだろう。
 意外に、ふとした事で「今、何をすべきなか。」に気付いたりする。

 自分のスタンスを再確認できる「キッカケ」。
 私にとって、その中の一つが「5月病」なのだ。


現代に続く「居留地」の名残 2019/04/06

 タカ、ユージ‥‥ファッショナブルな刑事ドラマとして人気を博した「あぶない刑事」。主人公二人の配属署「港署」として一時期撮影場所に利用されたのが加賀町警察署。ところが、この警察署、加賀町と名がついているものの、山下町に所在し、加賀町という町名は地図にもありません。では、なぜ「加賀町」の名がついているのでしょう。

 山下町が居留地として開かれた1863年、山下町という町名もなく、最初は番地だけの区画割りだった。だが、それだけでは不便なので日本各地の藩地所在地や景勝地などの名前をそれぞれの通りに付けた。ここで加賀町通りという名前が出てきたのだ。

 1882年に居留地警察署がその地に建設され、その後1893年に加賀町警察署と改変された。1899(明治32)年の居留地廃止で返還、同時に町名改変で、当の加賀町通りを始め、他の通りの名も廃止し統合され「山下町」と改められた。加賀町警察署の名前はそのままに残された。
 便宜用にと街路名は残しておく必要があったため、他の通りも名前だけは存続していたのだが、いつしか絶えて消えた。そんな訳で、加賀町警察署の名前だけが生き残ってきたのある。

 近隣にある中区区役所前にも同じような名残がある。ここは薩摩町通りであったため、市電が走っていた頃、この地の停留所を「薩摩町」としたのである。現在はバス停名を「薩摩町中区役所前」といい、住所は日本大通なのだがここでも居留地時代の地名を残している。
 名前を残した「加賀町」と「薩摩町」だが、この辺りはみなとみらい線の開通で劇的にその町の形を変えていっている。だが大型マンション新築など大掛かりの工事には今でも居留地時代の遺構が発掘されている。
 きちんと過去とつながっているのを実感する時だ。


危機管理、ヨシ! 2019/03/11

 「252 生存者あり」「トッキュー!」「海猿」など、レスキュー隊をベースとしたエンタテイメントが人気を集めています。横浜市も今春のドラマ「RESCUE」に撮影協力しています。
 火災の消火が任務の消防隊。救急車で駆けつける救急隊。そして、あらゆる災害において救助を目的とする救助隊。この3つを核に横浜市安全管理局は活動しています。
 震災災害や大規模災害に対応するため、総務省消防庁では政令市に向けて、特別高度救助隊の創設を求める省令が定められました。

 横浜市ではすでに特殊な災害に対応する専門部隊と各消防署に救助専門の部隊が配備されていましたが、この省令を受け、「特別高度救助隊 スーパーレンジャーSR」として、平成20年10月に編成、創設されました。
 3,600人の局員のうち、SRになれるのは1%にも満たないほんの一握りの人だけ。過酷な状況にも耐えうる強靭な肉体と精神力、そして的確な判断力と機材に精通する技術力。
 その絶対的な力強さと信頼が、不安の多い現代で、人々にヒーローとして無意識に求められているのでしょうか。


青い目をしたお人形は 2019/02/05

 横浜人形の家は、人形とそれに関する資料を所蔵している博物館で、ファンも多い博物館です。所蔵品は約13,000点。所蔵品の9割が個人や各国大使などからの寄贈によるもので、人形を通じての親善外交はぬくもりを感じさせます。
 世界の人形の「大野英子コレクション」1,981点と日本の人形の「太田ますいコレクション」630点の横浜市への寄贈が、開館のきっかけとなりました。 
 昭和54年の産業貿易センターでの一般公開を始めに、昭和61年に現在の地に人形たちの家が完成、平成18年に改築し、私たちの目を楽しませてくれています。

 人々の人形に対する思いが象徴されている人形がいます。
 昭和2年、日系人排斥の風潮がアメリカを覆い始めていた時、在日経験のある宣教師ギューリック氏は全米の子どもたちに呼びかけ、12,000体もの友情人形を送ってくれました。その人形たちは盛大な歓迎を受け、全国の小学校や幼稚園に送られました。そのお返しにと、その年のうちに58体の市松人形が答礼人形として送られました。人形たちの入出港は横浜港で、日本初の人形外交の舞台ともなった訳です。その後の第一次世界大戦で大半が消失してしまいましたが、昭和48年NHKで「人形使節メリー」が放送され、残されていた友情人形が全国で発見されました。そのうちの1体とアメリカからお里帰りをしている1体が、入館してすぐの場所に私たちを迎えてくれています。

 人形というとメルヘンなものと思いがちですが、展示品を拝見していて、人形に対して込める人間の気持ちというものは、とても深く重く広がりのあるものなのだと考えさせられます。


赤レンガ倉庫 2019/01/08

 赤レンガ倉庫は、平成4年に本市が取得した当初、開口部の腐食、屋根からの雨漏り、外壁の落書きなどがひどい状態でした。
 そのため市では、『港の賑わいと文化を創造する空間』を基本コンセプトとして、市民が憩い・賑わう空間と合わせて、建物保存のための工事を実施してきました。
 工事の主な内容は、屋根改修(14万枚の瓦を全て葺き替え)、腐食した窓、ひさしなどの復元、落書きの除去、鉄骨による構造補強などです。

 2棟ある建物のうち、小さい方の1号倉庫は、主に文化施設として、大きい方の2号倉庫は、主に商業施設としての利用が計画され、2棟の倉庫に挟まれた広場も、倉庫と一体的な賑わいの演出空間として位置付けられ整備が進められました。

 赤レンガ倉庫は、みなとみらい21中央地区と中華街・山下地区を結ぶちょうど中間点に位置しており、水際線沿いを歩く人々の流れをつくり両地区の結節点となるとともにそういった人々の快適な憩いの場、交流の場になっています。